突然ですが、2022年12月飼っていた愛犬が亡くなりました。15年間、苦楽を共に過ごしてきたので「愛犬ロス」真っ只中です。

優里の「レオ」なんて聴いたら娘と号泣ものです。

◆私が犬と暮らすきっかけになった出来事がありました。さかのぼる事数十年前、通っていた中学校の前に置かれていた段ボールの中にいた4匹の「捨て犬」でした。みんなでこっそり教室に連れて行ってミルクを飲ませたり、先生の目を盗んで様子を見に行ったりと中々大胆な事をしていた記憶があります。その中の一番小さい子を家に連れて帰り世話をしたのがスタートです。その子を含め今まで3匹の犬を看取ってきました。どの子達も、「いい犬生」だったかな?と考えてしまいます。

◆ところで、最近「捨て犬」を見かけなくなったように感じます。ACジャパンが日本動物愛護協会の活動を支援し、2020年7月から「犯罪者のセリフ」としたCMがスタートしたのをご存じですか?「あっ!あのCMね!」と記憶に残っている人もいると思います。

「親切な人に見つけてもらってね」

優しい歌声が流れる中、女の子とお母さんが子犬の入った段ボールを木の下に置きます。事情で飼えなくなったか、女の子が泣く横でお母さんが願うようにこう言います。

「親切な人に見つけてもらってね」

そしてその瞬間、こんなナレーションが流れます。

「優しそうに聞こえても、これは犯罪者のセリフです。どんな理由があろうと、どんなに心を痛めようと、動物を捨てること、虐待することは犯罪です」。

知らない人も多いかも知れませんが、犬や猫を捨てると動物の愛護及び管理に関する法律違反となり、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられるのです。また、犬や猫等の愛護動物をみだりに殺したり傷つけたりした者は5年以下の懲役又は500万円以下の罰金に、虐待(注1)をした者は1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられます。

個人的にはもっと重くしてもいいのでは?と思います。

◆2021年から燕市内の中学1年生に向けて講演会を行ってきました。テーマは「「守る命」と「管理する命」この違いについて考えよう」というものです。弊社が製造している「捕獲器」は、人の命や生活を守るための最後の手段として使用する道具です。一方で街猫の保護を目的とした取組にも参加しています。犬や猫、ハクビシンやアライグマ「命」の重さはどれも同じだと思います。それに関わっているのが全て「人」なのです。人間のエゴで動物たちの命を粗末にしているのではないかと考えて欲しいのです。共生、共存できる環境をつくる事は「人間」にしか出来ないと思うからです。

◆愛犬が最期なんて言っていたのか、「バウリンガル」で聞いてみたかったです。「いい犬生だったよ」って言ってくれていたらホント嬉しいな。でも、言葉がわからないから「心の言葉」で勝手に翻訳した方がいいのかな。

 

・ ・ ・ また、思い出して泣きそうになりました・・・

 

※虐待とは、傷害に至らない程度の暴行を加える、給餌若しくは給水をやめる、適正を欠く飼養密度で飼養し衰弱させる、排泄物の堆積した施設等で飼養すること等を言います。

 

(のりこ)